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社会主義研究に生きた構造改革論

成蹊大学名誉教授 富田 武

本年8月5日 、社会主義経済論の泰斗、佐藤経明先生(横浜市立大学名誉教授、1925年生まれ)が胃癌で亡くなられた。数年に及ぶ闘病生活の末であったが、私が7月15日に虎ノ門病院分院にお見舞いしたとき、先生は2時間以上も会話され、そのお元気さに一安心したものだが、いま思えば幼少時代から東大時代のことをはさんで社会主義経済研究など生涯のことを語られたのは、あるいは最期が遠くないことを自覚されてのことだったかもしれない。ここでは、共産党東大細胞と「50年問題」など興味深い話は紙数の都合で割愛し、いきなり彼の理論形成から始める。(以下、敬称も出典も省略)

スターリン批判から構造改革派へ

佐藤の「処女作」は1954年の「人民民主主義経済論」であり、翌年には「東欧人民民主主義革命」を発表した。いずれも、、当時の正統派のテーゼ「人民民主主義を経て社会主義へ」の枠内にあった。1956年には定職に就き、翌年1月に「東欧動乱の背景と展望」を書いた。これはスターリン批判(56年2月)後の論考ゆえ、

、「動乱」をファシストや反革命分子による煽動の結果とするようなスターリニスト的発想を退け、東欧諸国の経済に内在して分析した研究ノートである。スターリン批判は日本では、共産党中央によって抑制されて紹介されたが、佐藤はロシア語論文を読めただけに衝撃が大きかったと推定されるものの、どう受け止めたかは、文書類が見つからず分からない。 

1958年『現代マルクス主義』 、翌年『現代の理論』(第1次)、『季刊 日本経済分析』刊行により、党中央の硬直した革命路線に対してマルクス主義の創造的発展をめざす構造改革派の結集が始まった。中心人物は井汲卓一、今井則義、佐藤昇らであり、「井汲塾」(自宅での集まり故いつ始まったかは人により認識の違いがある)にも、経済分析研究会(今井代表)にも佐藤は参加した。

共産党中央と構革派は、日本資本主義の対米従属か帝国主義的自立か、民族民主革命か社会主義革命か、「敵の出方」論に基づく従来型革命か反独占構造改革の平和革命かを主要な対立点とした。佐藤は、力石定一や富塚文太郎のような資本主義の現状分析の専門家ではないが、1958年共産党第7回大会「党章」草案をめぐる激しい党内論争の中で、60年には「日本帝国主義と構造改革論」を執筆した。独占資本の復活=帝国主義復活という議論であり、党中央派の対米従属強調をカウツキー主義的(帝国主義間矛盾を認めない)と論難したものであって、ゴリゴリの自立論者だとの印象を与える論文である。結局、「党章」草案反対派は61年第8回党大会で離党するか、除名されてしまい、以降佐藤は社会主義経済研究に専念することになる。1964年構造改革派の雑誌として再出発した『現代の理論』(第2次/井汲、長洲一二、安東仁兵衛ら)にも、初期のほぼ10年間一本も寄稿していない。その理由の一つは、安東が一時期文化大革命に傾倒し、編集方針に反映させたことへの反発である。

ここで構造改革論を規定しておくと、イタリア共産党の路線を先進国革命の理論として受容し、国家独占資本主義が「生産の社会化」の点では「社会主義の控えの間」(レーニン)であるという認識に立って、反独占の多数派の圧力と、次いでその政権の政策により経済構造を改革して社会主義に漸進的・平和的に移行する戦略である。構革派は1950年代末から60年代初頭にかけて共産党、社会党にまたがって一定の勢力を有したが、両党の主流派=正統マルクス主義派に排除された。理論の性格上、中心は井汲、今井、長洲、力石、富塚ら経済学者だったが、グラムシ思想も重要な要素だったため、沖浦和光や飛鳥井雅道のような他分野の学者も結集し、関西を中心に労働組合にも一定の支持者を有していた。狭義には統一社会主義同盟(1962年結成)を指すが、広義には『現代の理論』(日高六郎や坂本義和ら非マルクス主義者も執筆)派と言ってよい。

社会主義経済論の革新派へ

1964年8月から翌年3月にかけて佐藤は念願のソ連・東欧在外研究に出かけ、リーベルマンやランゲ、ブルスの社会主義改革の理論を現地で学ぶ貴重な経験をした。ソ連の改革はフルシチョフ解任後もコスイギン首相により続けられたが、チェコ事件で保守化してしまう。それでも「日ソ経済学者の会」(66年発足)の運営に佐藤は献身的に当っていた。しかし佐藤の関心は、1968年の「プラハの春」に始まるチェコの改革運動と、1956年「動乱」の痛手から回復して着手されたハンガリーの経済改革に向けられた。68年の座談「社会主義国家における民主主義の再生」、論文「経済改革と誘導市場モデル」、「ソ連介入と社会主義の将来」がそれであり、共産党系の社会主義経済論専門家になお強かった国家的所有の優位と市場経済の忌避を批判する論客となった。

佐藤の研究の成果であり、集約点となったのが1975年刊行の『現代の社会主義経済』(岩波新書)である。それは、現実に存在する社会主義を、後進国ロシアとスターリン指導の歪みを伴った「前期的社会主義」と規定したこと、集権的計画経済には企業の裁量や省庁との「取引」の余地があり、労働者の「手抜き」と企業の「温情」を組み込んだパターナリズムが伴うと分析したこと、計画経済の「一つの工場」イメージは幻想であり、市場と価格による自己制御を不可欠とすると明示したことにおいて、社会主義経済研究の到達点を示したものと言える。佐藤自身の歴史に即して言えば、彼の「誘導市場モデル」は社会主義の構造改革案であり、反独占構造改革のベクトルが国家独占資本主義から国家独占社会主義に向けられたものだと理解することができる。

佐藤の議論は、1980年代のポーランド「連帯」運動を端緒とする東欧革命とペレストロイカにおいて真価を発揮したが、新自由主義は改革中の社会主義をも押し流してしまった。それだけ国家的社会主義、スターリニズムの原罪とトラウマが大きかったのである。佐藤は、ソ連崩壊後の「社会主義経済学会」改称の議論において「比較経済体制学会」への改称に反対したが(実際はこれに改称)、それは教条的に社会主義に固執する守旧派とは異なり、社会主義の歴史を正負ともに引き受ける意味だったという。

佐藤はこの意味で誠実な学者であり、晩年の共産党東大細胞時代の回顧にもそれは現れている。私は、彼が果たせなかった戦後日本共産党史研究を継承したいと思っている。

とみた・たけし

1945年生まれ。東京大学法学部卒。1988年成蹊大学法学部助教授、法学部長などを経て2014年名誉教授。本誌編集委員。著書に、『スターリニズムの統治構造』(岩波書店)、『戦間期の日ソ関係』(同)、『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院)など。

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